Looping Pool #2

 

 

 

Interview

Yumi Takeuchi  and  Paul Hommage

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Exhibition

“LOOPING POOL”

2020.6.19 Fri – 7.5 Sun

 

 

 竹内佑未 (1991*) とポール・オマージュ (1988*) は、2013年からユニットとして共同制作を行うアーティストです。彼らはそれぞれの母国である日本とフランスを行き来しながら、各地のワークショップやアーティストインレジデンスに参加し、制作活動を続けています。彼らの創作には多くの場合、それぞれの実体験や夢を起源とするショートストーリーが根底にあります。彼らはアニメーションをはじめとする映像、ドローイングや版画といった技法を自由に組み合わせ、ある時間の流れ、街の風景、人と自然の関わりといった詩的な物語を紡ぎ出していきます。

今回のインタビューでは、二人の子供時代から、共同制作のあり方、アニメーションという技法、そして展示「LOOPING POOL」について語っていただきました。

文章は、ポールさんはフランス語とその日本語訳、佑未さんは日本語、質問は日本語とその英語訳を掲載しています。

二人のアーティストが互いにイマジネーションを重ね合わせながら新たな世界を築いていく、その過程を想像しながら読んでいただけたら幸いです。

 

SKLo

 

 

 

 

 

 

展覧会初日、会場にて

the opening day at gallery

 

 

 

美術に初めて触れたのはいつですか?

子供の時の記憶など教えてください。

What was the starting point of creating art ? 

If you remember even the memory of childhood, could you tell me?

 

(Paul)J’imagine que mes souvenirs de création dans l’enfance sont similaires à ceux de beaucoup de personnes. Et donc quand j’étais enfant je dessinais, je faisais du théâtre, je faisais des activités créatives avec mes parents. Un souvenir marquant de mon enfance s’est déroulé avec mes cousines, où, une fois par an on tournait une petite fiction avec la caméra de mon oncle. On faisait les acteurs, le scénario, le montage etc. Ensuite comme mon père est peintre, j’ai baigné dans un univers artistique depuis l’enfance. Quand j’étais petit, on passait beaucoup de temps auprès des amis de mon père avec mon frère, on faisait du ping pong dans les ateliers des artistes de la région, on jouait autour des oeuvres etc. 

私の子供の頃の創作の記憶は、他の多くの人のそれとよく似ていると思います。小さい頃には絵を描いたり、劇で演じたり、様々な創造活動を両親とともに経験しました。特に記憶に残っているのは、毎年休暇のたびに兄や従姉妹たちと一緒に劇を創作し、叔父のカメラを使って撮影したことです。その数週間、私たちは俳優として演じ、同時にカメラマン、脚本家、編集者の役回りを行いました。

それから私の父は画家で、子供の頃には父の友人であるアーティストたちの間で多くの時間を過ごしました。私たちは、地域のアーティストである彼らのワークショップに定期的に参加し、また兄とともに、彼らのアトリエで作品に囲まれながら卓球などいろいろなゲームをして遊びました。

 

学生時代は美術を学んでいましたか?

Did you major in art when you were student ?

 

(Paul)Avant d’entrer à l’école des Beaux-Arts j’ai fait une spécialité art et une option cinéma au lycée, et j’aimais beaucoup ça. On avait la possibilité de tourner avec les copains, avec du matériel léger. Bien sûr c’était une option, donc on avait que quelques heures par semaine à s’amuser avec une caméra et pareil pour l’option Arts-Plastiques. Au départ je voulais plutôt faire des études littéraires, mais comme je n’allais pas assez régulièrement en cours, j’avais des notes acceptables mais un mauvais dossier, et je n’ai pas été pris. Comme l’entrée aux Beaux-Arts se fait sur concours, il n’y a pas vraiment de dossier, c’est en fonction de la performance pendant l’examen que les étudiants sont choisi et c’est beaucoup moins élitiste que les prépas littéraires.

ナンシーの美術大学に入学する以前、私は高校で映画と美術の授業を選択しており、そこでは撮影機材を使って週に数時間、友人たちとグループを組み撮影を行うことができました。それはとても良い時間でした。高校卒業後は文学の勉強へ進みたかったのですが、成績は良かったものの授業の出席日数が足りず、結局希望する特別準備学級へ進学することはかないませんでした。しかし美術学校へは作品審査が通れば入学できます。そこでは高校の成績は選考対象ではなく、成績優秀者である必要はありませんでした。当時文学の勉強へ進めなかったことは今でも後悔しています。

(Paul)Aux Beaux-Arts, je me suis focalisé autour des médiums vidéo et dessin. Quand je suis entré, j’ai présenté un projet de vidéo réalisé au lycée et donc j’ai ensuite continué dans ce pôle. Mais il n’y a pas vraiment de séparation aux Beaux-Arts de Nancy. Et puis au sujet des médiums je pense que l’un nourri l’autre, les pratiques sont poreuses et s’harmonisent, donc ça a toujours eu un intérêt pour moi de mettre de la vidéo dans du dessin et vice versa, avec l’animation notamment.

私は美術大学在籍中は特にドローイングと映像についてのリサーチをしていました。美術学校は表現メディウムによって専攻は分かれていませんでしたが、入学試験の時に提出した作品が映像作品だったこともあり、映像を継続して研究制作するのは自然なことでした。表現メディウムについてですが、一方がもう一方を養うというように、メディウムといくつかの制作プロセスの間には一種の多孔性が存在します。例えばアニメーションの制作プロセスにおいて、映像をドローイングに組み込み、またドローイングを映像に組み込むということに、私はいつも関心を抱いています。

 

佑未さんはずっと絵を描いてきたと聞きました。

I heard that Yumi has been painting.

 

(Yumi)私は子供の頃から一人で絵を描いているのが好きでした。父と祖父が金沢美大の卒業生で話を聞いていたこともあって、小さい頃には金沢美大への入学は決めていて、そこで画家になると思っていました。

私が大学2年のときにポールさんが留学してきたのですが、最初はお互いに別々に作品を作っていました。4年の夏休みに初めて二人の制作、アニメーションが完成したのですが、それはもともと、ポールさんのプロジェクトとしてあったもので、その最初の一場面を木炭で描いて欲しいと言われて、描いたのが始まりです。描いてしまった後は良かったのですが、当初は他人の作品に加わることに対して強い抵抗がありました。

誰かと共同で制作するということがポールにとっては自然なことでしたが、私は違いました。最初のアニメーションでデッサンを描いた後は、他人の作品とは思えなくなりました。そして、アシスタントとしてアニメーションの制作を手伝っているうちに、自分でも描きたいものが見えてきて、そこから自然に一つの作品が出来上がっていきました。

 

それが二人の共同制作のはじまりですか?

Is that the beginning of your collaboration ?

 

(Yumi)そうです。完成後は、これから二人で作品をつくっていくと決めたわけではなく、どうなるか分かりませんでしたが、その時に読んだドゥルーズのインタビューのなかで、ドゥルーズがガタリと一緒に仕事をすることについて「著者であることをやめた」と述べていて、それを「二人の間」という言葉で話していました。ああ、そうか、じゃあ、私は私じゃないものになるだけなんだと。それは面白いなと思いました。同時に、以前には作者としての自分というか「私」というものが無意識的にあったんだということを実感しました。その幻想が壊れることで、どこへ行くかわからないけど楽しそうだなと思って、共同制作は始まりました。

 

 

What is the difference between working alone and working together with someone as group ?

一人での仕事と、グループで制作することの違いはなんですか?

 

(Paul)Avant de travailler avec Yumi, j’ai fait des projets collaboratifs avec plusieurs autres personnes. Je crois qu’en France c’est plus facile qu’ici de travailler en tant que collectif d’artistes. Peut-être qu’au Japon il y a plus cette notion d’artiste solitaire, un peu comme une sorte de légende héroïque.

佑未との制作を開始する以前から、私は他の人たちと共同のプロジェクトのもと制作を行っていました。フランスではアーティストがグループで制作を行うことは、ここ(金沢)よりも容易なことかもしれませんね。たぶん日本では、一種のロマンチックな物語として、孤独な芸術家という幻想があるかもしれません。この考えは、日本のアーティストの状況を改善する可能性を損なうのではないかと思います。とにかく、私と同じ世代のフランス人アーティストにとって、これらの問いはアーティストの社会における世界的状況に比べると重要ではありません。私はアートを仕事として捉えたいと考えます。特殊なものですが、仕事としてです。

 

(Yumi)アートの歴史を見てもユニットとかグループというのは多く存在しますから、別に特別なことではない。私個人の経験としては、特別な出来事でしたが。でも今はそのような認識からもどんどん離れていっているように感じます。

二人で作品を作ってそれを展示する際、なぜ二人でやっているのかということをよく聞かれます。それはとてもよく分かるのですが、ユニットでやっている意味は多分無いと思っています。個人レベルでは予感できないことが起こるから面白いという感覚で制作を続けています。なので、それは外に向けてやっているわけじゃないのかもしれない。あるいはまだ、その段階に来ていないのかもしれない。

 

(Paul) Pour ma génération d’artistes français, je crois que ça a moins d’importance. Aussi lorsqu’on fait des films que ce soit en amateur ou chez les professionnels on travail rarement seul. Pour la vidéo c’est un peu pareil, il faut quelqu’un derrière la caméra, potentiellement devant, à la lumière, à la prise de son. Enfin on peut tout faire tout seul bien sûr mais ça peut limiter le projet. Il y a plusieurs manières de travailler en groupe, on peut le faire en tant qu’assistant, en tant que directeur, en tant que matériel etc…

また、アマチュアあるいはプロの映画を一人で制作するということがほとんどないように、才能のある孤独な作家という幻想はあまり意味がありません。ビデオ・アートも同様に、カメラの前方と後方、照明と音のために、他の人々が必要です。もちろん、一人で全てを行うことはできますが、そこには限界があります。

私の経験上、助手として、あるいはディレクターとして、時には作品の要素として、コレクティブな仕事にはいくつかの方法があります。

 

(Paul)Pour moi, le travail avec Yumi c’est quelque chose d’encore différent (qui n’a rien à voir avec les sentiments ou un quelconque jugement de valeur). On a construit un ensemble de règles et de processus de créations, un sytème d’équité dans la création collaborative intégrant beaucoup la notion d’aléatoire, de hasard.

私たちの仕事は一般的なコラボレーションとは少し異なります(私たちの生活云々とは関係なく)。まず、私たちの制作は一つのプロジェクトに限定されません。私たちは共同で平等に仕事をするためのルール、制作過程やシステム、そして個々のランダムな要素をどのように作品に集約するかを、(複数のプロジェクトを通じて)その都度考え練り上げます。

 

(Yumi)私たちはお互いが作者としてイコールの関係であるので、二人の間にヒエラルキーはなく、どちらか一方のアイデアに従うことはありません。制作は、一つの絵画の中で違う色が混ざるようなイメージで、その混ざった色が偶然新しい色となって、その色から、次に何を描こうかというように、制作工程が見えてきます。その繰り返しで作品が出来上がります。

 

二人の間で具体的なルールなどはありますか?

Do you have some rules in your collaboration work?

 

(Paul)De manière générale lorsque je travaillais avec quelqu’un, il y avait toujours une notion d’assistant, de hiérarchie, c’est à dire que c’est mon projet ou non. Avec Yumi, c’est plus compliqué et les responsabilités sont plus partagées.

Un type de règle pour l’animation par exemple, serait au sujet du storyboard, est-ce qu’on fait un plan avant, comment on écrit une histoire à deux. Parfois il y a aussi des confrontations et des désaccords. Nos tempérament et notre façon de travailler est vraiment différente, j’aime bien prendre le temps de la réflexion et Yumi préfère démarrer rapidement sans plan, alors on doit faire des compromis, je crois que ça enrichi toujours les projets.

以前は、私のプロジェクトであるなしに関わらず、誰かとともに仕事をする時には、(相手または自分が)助手になるなど、それぞれの役割に差がありました。佑未との仕事はより複雑で、責任も共有されます。アニメーション制作におけるルールとしては、例えば、絵コンテを制作するかどうか、制作を始める前に計画が必要かどうか、あるいはどのようにして二人で物語を想像するか、などを決めます。時折考えの衝突が起こりますが、そこでも私たちは折り合いを見つけなければなりません。

 

(Yumi)最初の方は明確なルールを決めたりしました。例えば私がペンで線を描いて、着彩は全てポール、のような。その逆も考えられますよね。それから一枚の絵を仕上げる時に、私は手が動いたらもう完成に向かってしまうというか、自分の世界で仕上げようとしてしまうので、意識しないと止められない。しかし止めないと、次に彼が入る余地がなくなります。そこで、私が完成させようとしていると、「やめてくれ」と彼からストップをかけてもらうこともあります。そこでは「これはもう入る隙間がない」と、彼ははっきり言います。そうなるとそのドローイングは終わります。この反対も、もちろんあります。例えば、ポールは手を動かす前に、頭である程度明確なイメージや物語を持つことができるのですが、それを言葉やテキストで説明されてもわからないことが多いので、私は「イメージを描いてほしい」と言いますし、他の時には「そこはこうした方が面白い」と物語を変形しにかかろうとします。でもアニメーションは複数のドローイングの連続なので、ルールが無くても、お互いに別のシーンを描いたとしても、一緒になって違和感がなく、そのぎこちなさがかえってアニメーションの空気となってくれます。

 

二人の作品には物語性があると思いますが、

映画とはどのように違いますか?

I think your work is narrative, but how is it different from a movie ?

 

(Paul)Je fais de l’art vidéo et pas du cinéma, c’est à dire que les pièces ne se déroulent pas sur une temporalité plane, mais plutôt circulaire. Il s’agit plus de travailler sur des cycles, il y a peu de trame narrative, de développement linéaire. Donc quelque part, à l’instar peut-être de la peinture, on travail sur des temporalités non résolues, en musique on parle aussi d’accord résolu etc, qui laissent en suspension. Dans l’art vidéo il y a cette notion de perpétuelle potentialité, c’est à dire d’une situation qui ne se résout jamais vraiment. Pour moi il y a un aspect fragmentaire dans l’art vidéo et non factuel, ce qui rapproche cette pratique de celle de la poésie.

私は映画ではなく、ビデオ・アートを制作しています。とは言っても、よく観る作品は映画で、ビデオ・アートの作品やアニメーション作品はあまり観ないのですが。ビデオ・アートと映画の大きな違いの一つは、作品の時間性です。映画における時間性は線状的であり、ビデオ・アートでは、それはより環状的です。おそらく(ビデオ・アートにおける時間性は)絵画制作における未解決の時間性と同じ側面を持っているのかもしれません。ビデオ・アートには、永久的な可能性という観念があります。ビデオ・アートは、決して完全に解決されない状況について表現するものだからです(”ボーイ・ミーツ・ガール”ではないということ)。ビデオ・アートは断片性という一面も持ち合わせますが、その点でビデオ・アートと詩はよく似ています。

 

ループの運動や、未解決の時間というアイデアは、

映像制作を開始した時からすでにあったのですか? 

As you said the motion of loop or unresolved time,

do you have this idea already when you started the video?

 

(Paul)Bien sûr quand je suis entré à l’ENSAD je ne pensais pas à tout ça, c’est plutôt en rencontrant des artistes, en regardant des oeuvres en écoutant des artistes parler de leur travail, comme Francis Alys ou Peter Greenaway. Au départ je voulais surtout m’amuser, expérimenter, découvrir etc…

美術大学に入学した頃には、ビデオにおけるループや、未解決の時間性などの問題、メディウム間の違いなどについては、とりわけ考えていませんでした。それは数々の作家と出会うなかで、彼らの作品を見て、またフランシス・アリスやピーター・グリーナウェイなどの作家たちが自身の作品について話すのを聞いたりしながら、徐々に現れました。入学当初はものを発見したり、実験したり、とにかく楽しみたかったのです。

 

作品の制作を開始するとき、そこには例えばアニメーションや、

イラストレーションなどといった作品の完成形は決めていますか?

When you start to make work,

is there the final shape of works like an animation or illustration ?

 

(Paul)Il s’agit souvent de continuer des projets écrits, imaginés ou même entamés auparavant. Notre recherche plastique n’est pas fragmentaire, elle se développe sur le long terme, on pourrait dire pratiquement depuis que l’on a commencé à dessiner en étant enfant. Au fil du temps, de nouvelles problématiques apparaissent, comme celle du travail collaboratif.

作品は、多くの場合すでに書かれたプロジェクト、もしくはすでに開始された制作など、継続の流れのなかにあります。私たちのリサーチは作品ごとに断片的にあるというよりも、長い期間のなかで発展していくようなもので、それは絵を描き始めた子供の時から持続しているとも言えるでしょう。もちろん、時間とともに、例えば現在の共同制作のような、新たな問題は現れます。

 

(Yumi)作品制作は、さあ、アニメーションをやろう、さあ、作品を作ろうっていうように始まるのでは無くて、それはずっと流れのなかにあります。今回の展示でも、馬とか、石とか、光とか、共有しているイメージがあるから、イメージの軸を中心にしていればどのように二人が旋回しても良い、というように描いています。今回に関していえば、このイメージを表すにはアニメーションがいいね、と言ってアニメーションになっていきました。

 

(Paul)Le film d’animation c’est quelque chose de récurrent dans notre pratique. C’est quelque chose que j’ai découvert à l’école des Beaux-Arts par le biais d’un ami (Guillaume Cochinaire pour ne pas le citer). Ensuite la production avec Yumi a beaucoup fait évoluer ma vision des choses. On a tendance à chercher de nouvelles pistes, de nouvelles inventions, qui s’accordent au projet que l’on veut réaliser. 

Dans une interview que j’ai vu récemment, un artiste qui disait globalement que le film d’animation c’est le film du pauvre, bien sûr ça demande du temps et beaucoup d’énergie mais beaucoup moins de moyens qu’un film en capture réelle, on remplace souvent l’argent par du temps et des bricolages poétiques.

アニメーション制作は、私たちのリサーチにおいて周期的に起こります。私自身はフランスの美大に在籍中に、友人を通じてアニメーションを知りました。そして、その後の佑未との制作を通して、私のアニメーションに関する認識は進化していきました。アニメーションにおける次なる糸口や、新しいイメージの術、運動の表現など、それらの探求は実現したいプロジェクトの進行とともに存在します。

最近聞いたインタビューで、若いアーティストが「アニメーションは貧しい人の映画だ」と話していました(決して悪い意味でなく)。アニメーション制作には多くの時間と労力を必要としますが、実写の映画撮影で使われるような機材は必要としません。私たちは時間と創造と詩的な発明を制作の資金に替えるのです。

 

 

 

 

 

 

今回の展示《LOOPING POOL》では何を見せたかったですか?

What you wanted to show with looping pool ?

 

(Paul)L’installation “Gatsby Wakaranai”, produite en animation et projetée sur du marbre est pour moi le centre de l’exposition. On réutilise un processus de transparence avec le marbre que nous avions expérimenté lors de la résidence Akiyoshidai International Artist Village. L’intérêt de la pièce ici, se trouve également dans la position spatiale qu’elle occupe. C’est à dire qu’en entrant dans la galerie, on la voit de derrière, via la transparence, comme dans un brouillard de marbre. Et puis lorsqu’on rentre réellement dans l’exposition, on tourne et on peut voir la reflexion de lumière extrême produite par le marbre. 

「分からないギャツビー」は、アニメーションを大理石のスクリーンに投影したインスタレーションです。私にとってこの作品は、この展示の中心となる存在です。裏に透過した映像が映る大理石のスクリーンは、去年の秋吉台国際芸術村のアーティスト・イン・レジデンスで制作したものを再度使用しています。この作品の面白さは、その配置にもあります。ギャラリーに入るとまず大理石のスクリーンの裏面に反転した映像が透過しており、その様子は大理石の霧のようにも見えます。そして展示空間に入り、この作品を振り返って見た時、大理石に直接反射する強い光が見えます。(一つの作品に、二つの対比する光が存在する)

 

(Paul)Pour moi l’intérêt particulier de cette vidéo repose dans le fait d’avoir eu à la fois la possibilité de ré-agencer un processus précédent dans une nouvelle installation, et en même temps de préparer une recherche plus profonde pour un futur travail en “live” avec un musicien, toujours autour de cette idée de boucle vidéo, lors du programme de “fellowship” auquel nous participerons à Akiyoshidai en fin d’année.

この作品についての特別な関心は、大理石のスクリーンが秋吉台国際芸術村での過去のインスタレーションのデバイスであり、そして未来のアニメーションとライブパフォーマンスの手法になるという、その繋がりにあります。私たちは今年の冬、秋吉台国際芸術村のフェローシップ・プログラムでアニメーションとライブパフォーマンスのプロジェクトを実験します。

 

(Yumi)登場する犬がギャツビーです。フランスにいた時の近所の黒い犬です。彼はいつも100mほど間隔をあけて、私たちから遠ざかり、近づいたりしていました。このアニメーションのなかで彼は何度か現れますが、彼は映像を見ている人と同じ立ち位置にいます。というのは、彼自身も縄跳びする足や、駆け出す馬など、いろんなモーションを見ているのだけれど、首を横に振ったり、耳をパタッとさせたり、吠えてみたり、反応はするけれど、分かっていない。何が起こっているんだろう、みんな動いてるけど何してるの?みたいな。アニメーションが完成した時に、キャラクターとして表出したのが彼でした。そこで最終的に「分からないギャツビー」という物語を持たせて、作品となりました。

 

(Paul)Toutes les parties de cette installation ont été pensées en relation avec l’idée de cycle, de “Loop”, bien sûr la vidéo tourne en boucle ainsi que la musique, mais tous les plans individuels la composant sont également autant de boucles visuelles. En fonction du moment de la vidéo où on commence l’observation, on va pouvoir accéder à une micro histoire différente.

「分からないギャツビー」を構成するいくつかの要素は、ループ構造に関連して集約されています。アニメーションの映像そのものもループしますが、同時に流れている音楽も私たちがジャズにおいて「une “tourne”(回転)」と呼ぶ一種の構造を持ちますし、またアニメーションを構成する個々の要素も全てループしています。このループするアニメーションは、その人が見始める瞬間によって、ミクロな異なる物語へのアクセスを可能にします。

 

 

 

 

(Paul)J’ai également beaucoup apprécier la production de “Correspondance” avec Yumi, il y a quelque chose d’excitant dans le travail collaboratif, c’est la métamorphose de son désir initial, c’est de découvrir une alternative à soi-même. De voir également comment les images se répondent, produisent des relations et des narrations différentes lorsqu’on les sort de leur territoire d’origine.  Je pense que c’est une pratique que nous allons poursuivre, et qui a beaucoup de possibilités de développement, pourquoi pas en vidéo ou en dessin sous d’autres formats.

「Correspondence」というシリーズも気に入っている作品です。ドローイングの共同制作には楽しさがあります。それは最初にあった欲望が(往復して描くなかで)変化すること、それは自身(私たちだけではなく見る人も)に別の選択肢を示します。また、ドローイングに描かれた新聞や雑誌などの領域から乖離したイメージ同士が、どのように対話するかを観察することは、そこに異質な関係と物語を生み出すことへと繋がります。私たちが今後も追求する様々な発展の可能性を持つ制作は、映像もしくは、あらゆる形態をしたドローイングであると思います。

 

(Yumi)ポールが見た白昼夢や、私の夢もいろいろと織り混ざった断片的な物語をいくつも収集していて、それを私たちは「log」と呼んでいます。7点の連作ドローイングに書いた物語は、連句のようにポールが一番先の文または文章を作り、次に私が文を繋げる、というような繰り返して出来たものです。

 

(Paul)Quelque part les plus grands formats présentés dans cette exposition sont une forme d’évolution du projet “Correspondance”, même s’ils intègrent des images et des textes personnels, le système de dessin collaboratif reste très semblable et je trouve que ces dessins produisent un lien entre les autres oeuvres présentées dans l’exposition. Au delà des images et du processus créatif, un intérêt de cette recherche réside dans la réécriture de textes, imaginés auparavant pour un projet de court-métrage d’animation (Nautes). Je trouve qu’il y a une certaine alchimie entre nos mots, une sorte de poétique visuelle simple, et la manière dont la typographie et l’utilisation de lettrage amène un autre filtre de réflexion et d’interprétation au spectateur. 

今回展示した7点のドローイングも、「Correspondence」プロジェクトの発展形の一つであると言えます。7点のドローイングでは個人的なイメージやテキストを融合させていますが、共同でドローイングを制作する方法としては「Correspondence」とよく似ています。私はこれらのドローイングが、この空間で展示している他の作品との繋がりを生み出すものであると思っています。しかし、この7点のドローイングにおける個人的な関心としては、作品に描いたイメージや制作方法以上に、現在構想中であるアニメーションのショート・フィルム『Nautes(仮)』のために書き直したテキストにあります。シンプルで視覚的な私たちの詩のような言葉の間には、鮮やかな繋がりがあるように感じます。タイポグラフィーと文字の構成は、このドローイングを見る人に別の解釈のレイヤーをもたらします。

 

 

 

 

最後に、今後の制作、発表の予定や展望を教えてください。

Lastly, please tell us about your future work, exhibition and outlook.

 

(Yumi)次の展開としては、リアルタイムのパフォーマンスに興味があります。即興の音楽と、アニメーション制作、カメラ、プロジェクションを使って、何かしたいと考えています。実際に自分たちがアニメーションを作る過程をパフォーマンスにしてみたいです。ジャズの奏者でコントラバスとベースを担当するポールのお兄さんも、秋吉台のフェローシップ・プログラムには一緒に参加します。今までは完成した映像に彼が音をつけたり、彼の音に映像をつけるかでしたが、一緒に何かを作るのは今回が初めてとなります。

今は何か大きな転換期にあるような気がしています。アートも流れに乗ってというとおかしいけど、私の願いとしては、ユニークな発表の方法を考えて、作品がものとして、もっと誰かの近くにある在り方を考えていきたい。文化省と教育省が後援していたフランスのレジデンスでは、教育がプログラムに組み込まれているのはすごく面白い点だなと思いました。教育は大事です。教育の場でアートや詩的な思考が無くなっている現状に少しでもモーションをかけられたらと考えています。

 

(Paul)À partir de notre retour en France il y a principalement deux aspects que j’aimerais développer. D’abord celui d’une collaboration plus étendue, notamment en proposant des workshops auprès d’un public jeune. Je souhaiterais pouvoir travailler en vidéo avec un plus grand nombre de personnes pour faire émerger des imaginaires collectifs propre aux plus jeunes générations. Ensuite je souhaiterais faire l’expérience du “live” vidéo et par ce biais, donner une autre temporalité aux projets vidéos, créer des ponts collaboratifs avec des musiciens, imaginer de nouvelles formes d’oeuvres qui intègreraient à la fois l’animation dans la durée et à la fois dans l’idée d’image instantanée, éphémère. Et bien sûr il y a toujours le rêve de faire une projet de long métrage avec Yumi autour de nos textes.

フランスに帰国後、展開したい制作は主に二つあります。

一つは、コラボレーションを拡張させることで、この夏は特に12歳から18歳を対象にしたワークショップを通じて、まず実現させたいと考えています。そこではより多くの人と映像を制作し、12~18歳の彼らの世代そして個々に特有の集合的なイマジネーションを表現したいと思います。

次に、映像パフォーマンス・ライブの実験です。ライブで表現することを通じて、映像のプロジェクトに別の一時性を与え、ミュージシャンとのコラボレーションと創造の繋がりを作り出します。そして、日数をかけ制作するアニメーションと、瞬間的、一時的なイメージを交互に行き来し、統合しながら次なる作品の形態を考えます。

もちろん、私たちのテキストを元にした長編のアニメーション映画を制作するプロジェクトも、目標の一つとしてあります。

 

ありがとうございました。

Thank you.

 

 

Artist

Yumi Takeuchi(竹内 佑未)

1991 石川県、金沢市生まれ

2020 金沢美術工芸大学大学院博士後期課程美術工芸研究科美術領域油画分野修了

Paul Hommage(ポール・オマージュ)

1988 フランス、ナンシー市生まれ

2013 ナンシー国立高等美術学校大学院アート専攻修了

HP     http://www.ytph.fr